2012年4月18日水曜日

ぽぎゃぽぎゃぽぎゃつー

おうちのパソコンの文字変換が
とてつもなくバカなので
イラっときてキーボードをバーンって叩いたら
ハードディスクがぶっ壊れたぉ☆
\(^O^)/PCオワタ♪


やることが野蛮で粗雑@三十郎ですσ( ̄(エ) ̄)野生の血が騒ぐ


てな訳で
引退した予備役のXP機を引っ張り出して更新ですwwww


え~シリーズしちまってる
ポップギャルでチョイ乗りですが・・・

もう完全に何をしに出たのか忘れちまってるおいらですw
(キャブ調整ですよっ!)


さて…
現役の橋の親柱には『中津隈橋』と刻んでありますが
脇に立っている古い親柱には

間違いなく『東夫婦橋』と刻まれてるんです

どーゆー事なんでしょうね?(-_-)

これもおいらの憶測なんですが・・・

この橋が架かってるのは佐賀県道22号線・・・
その前身が親柱に刻まれている


府県道久留米神埼線


実はこの道
その更に前は長崎街道の宿場(田手宿か苔野宿?)から
分岐してた結構古い道みたいなんです。

そして古い親柱に刻まれてる大正2年(1913年)
当時の日本では自動車が通行できる道路はまだ稀だった頃です
だからひょっとすると・・・
徒歩や荷車程度に対応する道から
やっと馬車とか極々稀に通るかもしれない程度の自動車に対応できるように
道路が整備され
その時架けられたのが『東夫婦橋』だったのかもしれません。

それから現役の親柱にある昭和9年
コレは1934年になると思うんで
架け替えまでたった21年なんですよね
壊れたとかじゃなければちょっと早い気がします

だから昭和9年ごろに“府県道”として大幅に整備され
同時に現在の県道22号のルートに変更されたのかもしれません
(元の道は西に伸びているが22号線は北上し長崎街道の目達原宿付近に接続してる)

当時は既に戦争が間近に迫った頃だから・・・
この府県道の路線名『久留米神埼線』の久留米には
日本陸軍の第12師団とか第18師団とかが有った土地ですからねぇ
(菊連隊とか久留米連隊といえば陸軍でも最強クラスとも言われてたらしい・・・
 菊の御紋を掲げてるんだからねぇ)
車両の通行(軍用のトラックとか)を考慮した道路構造になったのかも~?
ちなみに昭和の時代になっても日本の道路は貧弱劣悪な箇所が多く
ドコでも自動車が通れる訳では無かったそうです(-。-;)
ですから『東夫婦橋』では車両に対応出来なかったのでは無いでしょうか・・・
でも架け替えられたとしても名前が変わってるのは何故?

それは・・・
この橋の位置はちょうど
現在の県道22号線と昔の古い道が分岐する辺りに存在する橋なんですよね
場所的にはほぼ同じ位置に有りながら
違うルートに架けられた違う橋という
扱いなんじゃないかと思うんです(-。-)

まぁおいらの勝手な推測ですけど~w


あ、ちなみに・・・
『中津隈橋』の大理石の親柱は現役ですが
橋の本体は架け替えられて
コンクリートと鋼製の近代的な橋になってます~


ところで・・・
『東夫婦橋』ってぐらいだから『夫婦橋』の東に有ったのかな?
西の方に『夫婦橋』ってのが有る??

う~ん・・・
その辺のトコもぼちぼち調べて徘徊ネタだな( ̄▽ ̄)


(その前に壊したHDD買わなきゃねw)

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