2012年11月1日木曜日

ちと早いけど・・・

過去にも何度かネタにしてるんだけど・・・

いつも徘徊してる辺りのお山に
フランス人の飛行家アンドレ・ジャピー氏遭難の碑があります


1936年の11月・・・19日(ネタとしてちょっと早いw)の午後16時過ぎ
パリ~東京間の懸賞飛行(成功すると賞金が貰えた)に挑戦した
ジャピー氏は早朝に香港を出発しゴールの東京目指して飛び立ちます。

機体は当時高性能を誇ったコードロン・シムーン
4人乗り単発小型機ですが高速(民間機にしては)で
郵便機としても使用され長距離飛行記録を樹立したりした
高性能機だったようです。

かの『星の王子様』の作者アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリが
砂漠に墜落した時乗ってたのもこの機体。

しかし・・・いくら高性能機だったとはいえ
200ps程度のエンジン1基で座席を取っ払ってまで燃料タンクを積み込んだ
木製の小型機は

おそらくは東シナ海に発生した低気圧に吹き込む強い向かい風に難渋し
ようやく長崎県の西の端野母崎付近に辿り着いた時には燃料を使い果たし
急遽目的地の東京から福岡県の雁の巣飛行場(?)に
緊急着陸しようとしたそうです・・・が!

その目の前に立ちはだかったのが脊振山地・・・
しかもルート上には一番標高の高い脊振山(1055m)が(汗)

しかし
いくら昔の話とはいえ昭和11年ですからねぇ~
古色蒼然とした複葉機じゃあるまいし
高度6000mぐらいは巡航出来る性能を持つ機体だったんですよね

しかし折からの悪天候で地形を確認しながらと思ったんでしょう
雲の下を飛んだのだと思います。
現在でも・・・民間の小型機、特にヘリコプターなんかは視界不良の時
低空飛行を選ぶパイロットが多いって聞いたこと有ります。
それが原因で墜落する事故は多いって話ですな・・・

雲の下を長崎から佐賀平野上空を飛行して来たジャピー機は
目の前の脊振山地が見えていた筈です

なのに何故衝突してしまったのか?
ずっと疑問でしたが最近やっと原因を知りましたよ~

ジャピー機は脊振山地に接近すると
思ったより標高が高く山頂付近が雲で覆われて確認できなかったんで
ぐるっと迂回しようとしてた・・・若しくは燃料が厳しかったんで
山地に沿って飛びながら飛び越えられそうな低い部分を探してたようです

しかし玄界灘側から山地を乗り越えて吹き下ろす気流に捕まり
機体は激しく揺動してコクピット内で頭を強打するほどだったらしく
大きく姿勢が乱れたんじゃないかな~?と

機体を立て直そうとした時には目前に山肌が迫り
失速寸前の急上昇を試みるも・・・

当時の目撃者は
ヨロヨロと姿勢を乱しながら山肌を掠めて上昇して行く真っ赤な飛行機を見て
「ありゃ真っ赤になるごと酒飲んで酔っぱらっとっとやろ?」と言って
大笑いしたって話をしたとか

燃料を使い果たした状態で機体は軽かった筈
それが“喘ぐようなエンジン音”で ”酔っぱらいのようにヨロヨロ”飛んでたんだから
ホントに限界の急上昇を試みてたんじゃないかと思うんですよ

その直後ジャピー機は山肌に衝突
しかし幸いに急上昇を試みた頭上げの姿勢のお陰で
山の斜面に対し突入するような角度にならず
重傷を負うも即死を免れたのだと思われるようです

その後村民たちの懸命な救助活動によってジャピー氏は無事生還します

戦前の美談として有名・・・だったそうですけど
自虐史観の教育では取り上げない話でしょうな(-_-)




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