2014年2月1日土曜日

洞門

青の洞門も久しぶりでした~


快晴でした

その昔はこの険しい岩場の断崖に鎖を伝って渡る様な細い道が有ったのですが
余りの難所に滑落して命を落とす人が絶えないという場所だったそうです
それを知った旅の僧、禅海和尚が托鉢等で資金を集め
1730年頃から30年程の年月を費やしてトンネルを掘って安全なルートを作った
・・・という所です。

ココも水害の時は被害を受けたようですが
洞門自体は無事だったみたいですよ。

2 件のコメント:

  1. ゴメンナサイ!
    間違ったものを書きこんでしまい削除しました。

    和尚さんが一人で掘ったのでは無かったのですね。
    それにしても人力で30年あまりとはすごいです。

    いまだに手彫りの跡が残っているとのことで
    私もトンネルの通過中に凝視しましたが
    薄暗くてよくわかりませんでした。

    返信削除
  2. あ、今のトンネルは戦前に拡幅工事されたモノですよ
    手彫りの部分は
    歩道を歩いて行くと途中に一部残されていて
    明かり取り用に空けられた部分やその周辺の岩の表面に
    ノミで削った跡が残ってる筈です。

    和尚さんが一人で掘ったという話は
    ココをモデルにした「恩讐の彼方に」という小説の前半
    確か最後は敵討ちに来た人と一緒に掘ったという内容ですかね

    実際は通り掛かった禅海和尚が、
    難所『青野渡』から墜落死する人を目撃して新道の建設を発案
    資金調達や藩主への工事許可請願に尽力し
    許可が下りた後、石工を雇って工事を開始してるみたいです

    工事は数次に渡って行われ、周辺住民の協力や藩から援助等も有って
    延長・整備されて行き「樋田のくりぬき」という名称だったとか

    たぶん「青の洞門」という名称は工事のきっかけとなった
    「青野渡」という断崖に作られてた桟橋の呼び名から来ていて
    その桟橋の下の部分に掘られた所が「青野洞門」だったんじゃ
    ないかなぁ~?

    返信削除