昨日引っ張ったネタの続きね(^-^)
さてなんてバイクかと言うと~
クインロケット号・・・ではなく
屋号がステキ・・・
コチラでございますq(´ー`)
ウチの親父からこんなの貰ったんです・・・
フライバード・・・?
どーも昔乗ってたバイクのエンブレムらしいのですが~
初めて聞く名前です(-_-)?
フライバード・・・メーカー名?車名?
国産車なのか?輸入車だったのか??
・・・で、早速ググってみたんですけどね
結果は→ココ
多分間違い無いと思うけど・・・
写真が不鮮明でエンブレムが確認出来ないなぁ・・・
メーカー名は『土井産業』・・・やっぱ初めて聞くわ~
名古屋に有ったメーカーなんですねぇ
有った・・・なんて思ってたら未だ健在の企業でした!
ちゃんとサイト内に「軽自動二輪車開発の歴史を持つ当社」って
書いてありますね
・・・
・・・あ!
良く見たらこのエンブレム
縦にDOIってなってる♪シャレとんしゃ~ねぇ(^。^)
さてこのフライバード号について
もうちょっと詳しい情報は無いものか?と思って
我が家の古文書をひも解いてみた訳で御座いますが~
・・・載ってないんだよなぁ?(´・ω・`)??
エーブ号とかパール号とか
あんまし馴染みの無いメーカーの広告は載ってるんだけど
フライバード号って広告は見つかりません。
更に調べてやっと見つけたのがコレq(・_・)
昭和30年11月の生産台数
土井産業㈱のフライバート(ドではなくトになってるw)の名前が有ります。
これを見ると・・・月産40台という規模だったみたいです
でも現在と違って軽二輪車(126~250cc)を製造してる同業他社が
この一覧のページを数えたら37社!もありました
ホンダの1743台は別格として
それ以外で現在存在している国内メーカーでは
カワサキに吸収されたメグロが411台
ヤマハは39台
スズキに至っては・・・作って無いんです
この当時のスズキは125cc以下の原付しか生産をしてないんですよね
その中での月産40台ですからそこそこ名の通ったバイクだったんじゃないですかねぇ
昭和30年というと終戦から10年という時期になるんですが
251cc~の自動二輪車メーカーは
存在したのは9社
その内現存してる国内メーカーだと2社
メグロ(カワサキ)の171台
ホンダは2台・・・しか生産してないようです。
後はキャブトン(みずほ自動車)95台
陸王が42台
DSK(大東製機)10台
当時のヤマハは自動二輪車を作ってないんですね~
ちなみに125cc以下では
ダントツの生産数を誇ってたのはトーハツ4588台(前月3659台)
同じ月のホンダは276台(前月は1699台作ってるので生産調整?)
スズキが1112台(前月845台)
ヤマハは209台(前月223台)
メグロ(カワサキ)230台(前月262台)
まぁ・・・メグロがカワサキと言っても
実際の直系はメイハツというブランドで
かなり後になってメグロを吸収してますから
この昭和30年という時期でカワサキの名前が出すのは
妥当では無いですけどね
さて何時も通り取り留めの無いグダグダ話になってますが~
このフライバード号ってどんなバイクだったんでしょうねぇ?
ネットで見つけたこの広告によると
250ccで12馬力ってなってるんで~
強力を誇るエンヂン!
ん~・・・
足回りやタイヤを現在レベルにすれば
(ハイグリップタイヤとか高級なクッションユニットという意味で無く標準的なモノ)
あ、後はブレーキねw
けっこートコトコと快適に走るんじゃないかと思う。
世の中すぐカタログの数値とかで決めて掛かる人多いですけどね
今でも普通に走る分にゃそんなに不満無いと思うんだけど・・・
125も新発売♪
まぁ、淘汰されるにゃそれなりに
いろんな事情があったんでしょうけど・・・
必要以上のスペック追求とか
数字やちょうちん記事で価値が決められてしまったり
ヘンな見栄の為のステータス性とか
そーゆーモンの積み重ねが選択肢を失くしてしまった原因なのかもね
おいら特に
試行錯誤してる過渡期のモノって好きなんで~
色んなメーカーの色んなバイクが存在した
この時代が何だか羨ましく感じます(^_^;)
古文書すごすぎるっ!w
返信削除自分らの若い頃が日本のバイクの最盛期だと思ってたけど違うんですね(^^;
ノスタルジックな想いとかじゃなくてですよ。
エンジニアが何も無いところから全てを造り出していた時代、切磋琢磨していた皆さんの笑顔やら悔しい顔やら色々思い浮かびますね(^^)
フライバード号って、初めて知りました。
返信削除当時の中京エリアって、モーターサイクルメーカーが犇めいて
いたんですよね。
大手メーカーのコストダウンや販売戦略に苦労しながらも
海外メーカーのモデルを範として、独自なモノ造りに奔走
していたんだろうなぁ…
歴史にifはないと言うけれど、
もしも、伊勢湾台風が無ければ、中京地区のバイクメーカーは
もう少し頑張れたんじゃないのかなぁ…
>かわむらさん
返信削除そうなんですよ~
当時の日本では軍需産業に関連してた企業等を中心に挙って
二輪車を製造していたみたいですね~
何か…空襲から焼け残った工場や瓦礫の中から
使えそうな工作機械を掻き集め
手本となるエンジンを分解し部品をスケッチして
それでも判らない所だらけだったでしょうから
試行錯誤を繰り返して作ってたんじゃないですかねぇ
何よりスゴイと思うのが
この当時はレースが盛んで、あちこちの公園や広場なんかに
仮設オーバルトラック作って草レースしてたらしいんですよ。
そしてレースで勝つ事が高性能の証って事で
数十社が参加する東京~名古屋間の公道レースまで行われ
一応交通法を順守した耐久テストって建前にも関わらず
無免許の12歳の少年が出てたとか、
優勝者の平均速度は制限速度を20km/h以上上回ってたとか、
車輪は外れシャーシは折れという大事故続出
コースアウトして橋から転落するなどして数人の死者まで出たという
激しさだったそうで…
その後も『富士登山レース』や『浅間火山レース』で
覇権を争う熱い時代が続いたんですね~
間違い無くその頃が
日本のバイク最盛期だったと思います。
あ、間違った(^_^;)
返信削除>東京~名古屋間・・・では無く
名古屋~岐阜~三重間でした~
東京~名古屋間ってのは
もっと古い時代の(日本TTレース?)とかって話だっけ?
>Takeさん
いや~ホントに伊勢湾台風で廃業しちゃったメーカーは
数多いらしいですね…残念です。
名古屋じゃないけど丸正自動車
縦置きVツインやボクサーツインのライラックとか
カッコイイんですよね~(^。^)♪
初めまして、名古屋の土井産業㈱、矢野と言います。フライバードに関心を持っていただき、有難うございます。弊社、今は建設機械、産業機械に関わる仕事をしていますが、一昨年、創立70周年記念でフライバードの復元プロジェクトを立ち上げました。幸いなことに1958年製のフライバードAB型(148cc:多分名古屋TTレースを走ったモデル)を手に入れることができました。入手時は酷い状態でしたが、改華堂さんの協力を得て、完全復活を目指しています。この5月でほぼ完成の予定です。進捗は「改華堂ブログ」でチェックしてください。
返信削除7月14日、弊社行事の機会に、全社員の前で走らせるのを楽しみにしています。
併せて、上市から撤退までの歴史、エピソードも収集保管しようとしています。名古屋に来られることがありましたら、是非お立ち寄りください。
矢野様
削除直接御関係者からのコメントを戴き感激です。
また、復元プロジェクトの件、大変素晴しい取り組みですね
早速改華堂さんのブログを訪問して復活の様子を
拝見させて頂きます。楽しみですね♪