峠に引き返してきました
こんな感じで峠付近は直線の掘割になっていて
勾配は非常になだらかです
車道に拡幅した時少し掘り下げてあるのかもしれません
・・・というのも
気になるトコ発見~
写真でしこたま判りにくいと思いますが~
路肩から1メートルぐらい高いトコに
結構広い平らな一角が有るのを見つけました
これは・・・?
昔この道が綾部神社の参拝道として賑わいが有った頃
峠に茶屋が有った・・・って資料を目にした事があるんです
その向かい側はこう・・・
伐採されて見通しが良くなってるんで地形が判り易いですが
こちらには特に整地されたような平らな部分は無いようです
コチラの路肩も・・・
ちょうど1mぐらいの高さで法面の傾斜に変化がありますから
その高さが掘り下げる前の路面の位置なんじゃないかなぁ?
ちゅうコトはですよ・・・
さっきの平らな一角も路面とほぼ同じ高さだったんじゃないすかぁ?
そこに茶屋が有ったんじゃなかろうか?・・・と(`・ω・´)
それを裏付ける(?)モノも発見・・・
平らな一角の後ろは削って有るような崖になってます
斜面を整地した跡で間違いないかと・・・
そしてその崖の部分に…
古びた竹が2本出てるのが見える
コレ切って加工してあるでしょ?
湧水や沢水を集めた簡易水道なんじゃないか~?
もちろん・・・
竹がどのくらいの年月姿を留めてるのか?という疑問があります
おいら思うに・・・林業や道路工事の飯場とかがあったのかも~?
でもそれは丁度都合のよい場所が有ったから利用した…
つまりソコに有った茶屋の跡地を利用したんじゃないのかと( ̄_ ̄)
今の路面より1段高い位置ですからねぇ
跡から飯場用に整地したのなら
車両とか入れるように路面と同じ高さか
スロープを設けてる筈だと思うんですよ~
竹の水道管はその時のモノ・・・
或いはひょっとすると
建物が割と最近(といっても40~50年前)まで残ってたって
可能性もあるかもしんないなぁ
藪をかき分けてその一角を探索すれば
基礎部分とか遺留物とか見つけられるかのしれませんが・・・
おいら考古学者じゃないし~σ( ̄(エ) ̄)
ここが丁度県境
峠のピークとちょびっとズレてます
まぁ~しかし・・・
標識無くてもハッキリ県境って判りますよねぇ(-。-;)
継ぎ目くっきり・・・
右が佐賀県側
左が福岡県側
佐賀県側は
法面にコンクリ吹き付けをして
道路自体も麓まで1.5~2車線の
田舎の地方県道って体裁は整えてるんですが・・・
福岡県側は今まで紹介してきた通り
写真のようにアスファルトにも継ぎ目が有るんで
舗装した時期も異なるのかもしれません
なんかねぇ福岡県
もう『やりたくないけど仕方無く』感がバリバリなんですよね
あれだけの狭隘で急斜面にへばり付く道にも関わらず
ガードレールがほとんど無いしカーブミラーも無い
それどころか路肩の反射材のついたポールとかまで無い
ところどころ設置してあるガードレールは
路肩が崩壊して補修した時とりあえず付けたって感じです
それも崩れたトコだけチョチョイと補修って具合
それ以外の路肩や法面なんて無普請のまま
まぁハッキリ言って
福岡県側に張り出した佐賀県の小川内地区の存在が面白くないんで
小川内地区から最寄りの現みやき町中原駅を結ぶ
『早良中原停車場線』の内
福岡県部分を通る七曲峠の区間を整備せず
嫌がらせをしてたんでしょ~
だって
その小川内地区を福岡市の新たな水がめとして建設する
五箇山ダムの底に沈める事になった途端
路線改良で新道建設おっぱじめやがったみたいですからね(-д-)
実は通行量もね
西隣の国道385号線の坂本峠から狭隘区間の佐賀県側を避けて
峰伝いに通る『みやき町道丸山線(丸山林道)』を使って
七曲峠の佐賀県側に抜けるクルマがソコソコ居るんですよ
特に坂本峠に有料道路の東脊振トンネルが出来る以前は
交通量が結構多かったんです。
その頃に路線改良してれば距離も時間も短縮出来て
恩恵も大きかった筈。なのに放置してきた。
性格悪~って感じwwww
でもさぁ~
福岡が治水だ水がめだつってダム作っても~
数年前の豪雨の時下流に位置する南畑ダムが限界を超え
堤体越流寸前まで行って危うく崩壊の危機を迎えたのは
この五箇山ダムの工事で付近の山一帯が
保水力無くした結果じゃなかったのか?とか
事前の地質調査でヒ素を含む鉱脈が見つかってるとか~
そもそもダム作ってる谷って断層らしいんだけど
ソコの上に脊振・五箇山・南畑って3つもダム作って大丈夫??とか~
決壊したら…福岡市に甚大な被害が…(-。-)ボソッ・・・
まぁそんな感じで
数十年の間ずっと日蔭者扱いで
人知れずひっそりと廃棄されていた七曲峠福岡側・・・
御苦労さまでした
新道となった暁には・・・便利になったなぁ~って
みんなに喜ばれる道になれると良いね(^-^。)ノシ